どう足掻こうとNULL

nullに対してのメソッドコール? なんだかしらんがとにかくヨシ!

ずとまよプレゼン

はじめに

これから、「ずっと真夜中でいいのに。」というグループの楽曲についてのプレゼンを行います。
めっちゃオタク特有の早口で語るので、それに関しましてはご了承ください。「オレもオタクだよ!」という方は客観的にオタク文章を見て共感性羞恥に悶え苦しんでください。

目次

特徴

アーティストとは一般的に個性の塊です。尖れば尖るほどファンの心に深く刺さりますから、個性のない曲にアートとしての魅力はほとんどないと言っていいでしょう。
その中でも、「ずっと真夜中でいいのに。」、通称ずとまよはかなり尖っているほうです。ですので大衆ウケするかと問われれば微妙な部分もあります。これから上げる特徴を見た上で合う合わないの判断材料としてください。

曲について

端的に表現するならば、一般的なJPOPにノイジーなアレンジを加えたもの、となります。リズムを少々ずらしたり、メロディーを独特なものとすることで、独創的な世界観を構築しているのがずとまよです。
逆説的に、独特な曲調故にノリやすいほうではなく、王道な楽曲に見られる安定した流れを求めるときには不向きでしょう。
ちょっとかっこつけてジャズを聞こうかな、でもある程度聞き馴染みのあるものがいいな、なんてときにおすすめです。
なお音域は中音から高音にかけて目立ちます。楽器としてはピアノ系列がメインのよくある構成がとられやすいです。
またアップテンポで歌詞の文字数が多めでもあり、カラオケで歌うのは難しい部類に入るでしょう。洋楽を聞き流す感覚で聴くのにも向きます。

歌詞について

Googleで「ずとまよ 歌詞」と検索すると、サジェストに意味不明、と出ます。その程度には単文に意味が成立しておらず、ただ歌詞を読むだけで意味を理解するのは困難です。
この手法は一部の界隈では、ワードサラダ、と呼ばれています。この手法を取る代表的なアーティストは平沢進でしょう。
なお、ワードサラダとは、文法こそ正しいものの意味が破綻している文章のことを指します。原始的なアルゴリズムでコンピュータに文章を構成させると起こることが多く、一時期フィッシングサイト等でも使われることがありました。精度の低い機械翻訳で生まれる文章もワードサラダと呼べるのかもしれません。あるいは、言語障害を抱えた人物の書く文章もまたワードサラダと呼ばれます。
つまり、ワードサラダに習って書く、という手法は、人為的かつ意図的に、一般的で正常な文章でないものを書くのです。つまるところ、見たことのない幻覚を絵で表現するようなものなので、異質なものができやすいのが特徴でもあります。
平沢進は近未来要素のある世界観を楽曲に込めることが多く、それを表現する手法の一つとして、コンピュータから生成される文章をオマージュしたのでしょう。
ずとまよの歌詞においても、単文で見ると正にワードサラダと言えます。ただ狭義でのワードサラダとは違い、全体を通して見ると、選ばれている語彙に繋がりや法則性があり、人為的に作られ、何かしらの意味合いが込められていることが読み取れます。

ボーカルについて

ボーカルは女性で、感情の豊かな声質をしています。またやや地声っぽい部分もあり、等身大の人間が心情を込めて歌っているのが聞いてわかります。そこに親近感を抱くことも多く、これが若者を中心に共感が得られている理由の一つなのでしょう。

MVについて

Youtubeに上げられているほぼ全ての楽曲のMVがアニメです。歌詞が視覚的に表現されていて、MVを見ることで歌詞の意味合いを読み取ることができる場合も多々あります。なお、アニメMVは大抵のカラオケでも再生されるため、家で見た雰囲気をそのまま楽しむことができます。

ずとまよのここがすごい

前項目ではずとまよの特徴を述べました。ここからは私の主観的なオタク語りなので読み飛ばしていいです。

歌詞への考察を促す

前述の通り、ずとまよの楽曲の歌詞のほとんどは、ただ読むだけでは意図が理解できません。しかし、MVを見ることで歌詞とMVに繋がっている部分を確認することができます。よって実のところ、歌詞にもストーリーが存在することも推察することができるでしょう。
これはよくある物書きのテクニックである問題提起、あるいは書き出しの応用です。小説における読者、楽曲におけるリスナーにあえて疑問を抱かせることで、それに対する知識欲を湧かせる、といった手法になります。
また、ワードサラダであるという条件を活かし、文章の意味を成立させる必要がないことから、小説における伏線に該当するものや、バックボーン、ストーリーなどを単語単語で匂わせることができます。これにより、三分という短い期間(歌詞の文字量を考えればもっと少ないのです!)に多量の情報を詰めることができています。

声を楽器として利用している

先ほどの例として登場した平沢進ですが、彼は自身の楽曲で初音ミクを採用したことがあります。その際、ファンから「またコラボしてほしい」と要望を受けました。それに大して彼は「初音ミクは楽器であってアーティストでないため、コラボした意識はない」と返答しました。
平沢進自身、自分の声を楽器として利用している節があり、コーラスとしてメインボーカルとは別に自分の声を登場させることも多くあります。
一方でずとまよも、歌詞で丁寧に韻を踏むことでボーカルをメロディーラインとして利用しています。ラップに存在する、文として意味を成立させながら韻を踏む、というルールをあえて半分破って用いているのです。これによって主張が直に伝えられない代わりに、歌声を一つの楽器として使うことが可能となっています。
また、先ほど述べた通り、主張を直に伝えられないデメリットは、考察へと誘因するメリットに転化されています。

とにかく次世代

特徴の項目でも述べましたが、曲調はまるでアンチメジャーのように少しずらしたかのようなものです。歌詞も単文では意味を為しません。MVも世界観づくりに利用しています。
こういった特徴を全てそろえている楽曲は既存のものにはほとんど見られず、ずとまよは次世代の楽曲と言って差し支えないでしょう。
特に、MVの部分はYoutubeという動画投稿サイトの利点をアーティストとして完璧に活かしています。故に曲だけでは考察が完結しない部分もあります。これらからもわかる通り、MVも重要なずとまよのファクターなのです。

おすすめの楽しみ方

楽曲の楽しみ方は人それぞれであり、そこに優劣はありません。しかし、あえて普段しない聴き方をすることで、楽曲の新たな側面を見つけることもできるでしょう。

何も考えずに聴く

歌詞を一切気にせず、考察もせずに曲を楽しむやり方です。声を楽器として扱っているので、通常の楽曲のインスト(ボーカル無し)版を聴く心構えで楽しむとよいでしょう。筆者も普段はこちらで気分を上げたいときの作業用BGMとしています。

歌詞とMVをがっつり見て考察する

腰を据えてじっくりと楽しむやり方です。ずとまよはワードサラダであることから一語一句に別な意味合いが含まれていることもあり、入念に読み込む必要があります。MVもコマ送りで見るとよいでしょう。
ずとまよはそれぞれのパーツがそれぞれの鍵となっていますので、全体を俯瞰して見ないと意味を理解することが難しいのです。よって一部一部を軽く見たり、さわる程度に聞いて歌詞を読んでも読解は厳しいと言わざるをえません。

ずとまよを楽曲として最大限楽しむコツ

ずとまよを敬遠していた方が楽しむ為のテクニックを以下に述べます。 まず、ずとまよは先述した通り次世代のアーティストですので、今までの楽曲に慣れ親しんできた場合は違和感が強いと思われます。たとえるならば、海外の料理を本場の味で食べると口に合わないような感じです。ちなみに筆者は韓国のお土産のキムチが苦手です。
ですので、一旦偏見も常識も捨てて受け入れてみるのがよいと考えられます。ずとまよは十代後半から二十代前半にファンが多いのですが、その層とは正に慣れ親しんだ楽曲が少ない層なのです。異質なものに拒否反応が起こるのは分かりますが、そこを抑えて一度聞いてみて欲しいのです。
そして、音楽としてずとまよを楽しめるようになってから、歌詞の暗示や行間に気を配れば、貴方は立派なずとまよファンです。

さいごに

以上、オタク語りでした。読み物として楽しんでいただければ幸いです。そして気が向いたら、よければずとまよを聞いてみてください。
ところで、僕のイチオシは「ハゼ馳せる果てるまで」です。MVの子が褐色だからです。よこしまな理由ですね。ですが、これを読んでいる貴方とずとまよについて語らう日を楽しみにしています。
読んでいただきありがとうございました。